あきらめない人生 ~希望を持って~

アラフィフ独身。対人関係の悩み、職場のパワハラ、金銭問題、辛いこと色々経験ありました。でも何歳になってもあきらめず、人生に希望を持って笑顔で生きたい、そんな希望を皆さんにも伝えたい、気持ちで記事を書いています。雑記記事的に、面白話し、真面目な政治話し、いろいろ書いてます。ぜひ一度読んで下さいね!

ダービーの時期が来た、思い出す名馬について

 

こんにちは、ゆりあ姉さんです。

 

やって来ましたね、今年も。

なにが? って、東京優駿、ダービー(2500m)ですよ。

競馬が好きな、方には興味を持ってもらえるかもしれないが、

競馬に興味のない方には、興味のない(笑)記事かもしれない。

 

以外と思われるが、姉さんは20代の頃、競馬に係るお仕事をしていた。

封印した過去なので(笑)あまり詳しくは話せない。 が…

(なにが、封印だよ)

 

その時期、ゆりあ姉さんは、多くの忘れられない素晴らしい名馬たちに出逢ってきた。

その中の1頭で、思い出のダービー馬

ナリタブライアンだ。

最初の印象は、特別なものもなく、普通だった。

普通の、黒鹿毛の毛色、地味な感じで、他の馬と並んでもパッ、と目立っていた

わけではなかった。

姉さんは、栗毛の綺麗な馬、芦毛馬が好きだった。

だが、ブライアンは強かった。

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ナリタブライアンは3歳で(現在は2歳)当時は数え年の年齢だった。

2001年に馬齢を国際基準にするまでは、馬齢は数え年の表記であった。

8月の函館競馬、3歳新馬戦でデビュー、勝利は2戦目だった。

その、函館3歳ステークス(G3)では6着に終わる。

11月6日のデイリー杯でも勝てなかったが、次走の京都3歳ステークス(2馬身差)で

勝利を勝ち取り、続く12月12日の朝日杯3歳ステークス(G2)も勝利(2馬身差)

4歳のクラシックレースの最有力に躍り出た。

なんせ、勝ち方が、強いのだ。

ほとんどの、レースで、2馬身から5馬身の差をつけての勝利。

私も、その頃には、ナリタブライアンという馬から目が離せなくなっており、仕事

上もあったが、ナリタブライアンの出走する日の、関西の競馬場、京都競馬場など、

必ず足を運んでいた。

そして、4歳(くどいが当時の、現在は3歳)になり本番の年になった。

皐月賞、ダービーとも、中山、東京競馬場とそれぞれ関東の地でおこなわれるが、

東京優駿、ダービには仕事でだが、東京競馬場で、ナリタブライアンのレースを

見ていたが、5馬身半差、けた違いの強さだった。

 

そして、秋になり、いよいよクラシック最後の菊花賞のレース(3000m)だ。

個人的にだが姉さんはクラシックレースの中でこの菊花賞が一番好きだ。

大好きだった、京都競馬場、3000mの長距離レース、競馬に係るようになって

毎年、菊花賞が楽しみで、スタート前になると心臓がドキドキして、全馬が無事に

ゴールしてくれることを祈る思いで見ていたことを、ついこの前の事のように

思い出す。

関西TVの名物アナウンサーだった、杉本清氏の、実況中継もさることながら

ゴール前の氏の「弟は大丈夫だ、弟は大丈夫だ!」の言葉も懐かしい。

杉本アナの実況、良かったよ!ホント!解説者の大坪元雄さんもわかりやすい

解説で、現在では失礼だが大坪さんのように解説する方が見当たらない。

(余談になった)

その、ナリタブライアンは勝つのが当然のように、勝利して、3分04秒6の、

レコードタイムを出す。

3冠達成!

10年ぶりの3冠馬が、誕生した瞬間だった。

「弟は大丈夫だ」とは、前年には、半兄にビワハヤヒデがいてお兄ちゃんの

ハヤヒデが3冠を達成できなかったからだ。

その後、古馬となってからは、ケガなどもあり、少し精彩を欠いてしまった

ようだった。

6歳になり、阪神大賞典(GⅡ)に出走、鞍上は、武豊(個人的に嬉しかった)

マヤノトップガンとのゴールでの接戦は、手に力が入ったよ、ホント!

彼にしては珍しい接戦だったな…

1996年5月19日

最後になった、中京競馬場のGⅠに格上げされた高松宮杯、しかも1200mに

短縮された、初年度でもあった、このレースでは、4着に惨敗…

そして、1ヶ月後に屈腱炎を発症し復帰することなく11月に京都競馬場と、

東京競馬場で引退式がおこなわれ、彼はターフを去った。

 

引退後は種牡馬として期待されていたが、が、翌年の9月26日疝痛発症から、

27日には腸捻転、胃破裂を起こしていたため、安楽死措置。

その知らせを聞いたとき、涙が自然と流れた、悲しくて、心に穴が空いたよう

とは、まさにこのことだった…

 

1991年5月3日生まれ  黒鹿毛 21戦12勝

1998年9月27日死亡  

 父 ブライアンズタイム  母 パシフィカス

7歳4ヵ月の短い生涯だった。

 

気品ある黒鹿毛の馬体が、カッコ良かったね、憎らしいほど強くて

でも、あなたの、愛くるしい黒い眼が、可愛くて大好きだった。

それと、お馴染みのシャドーロール。大好きなブライアン。

 

あれから、しばらくして、私は競馬に係る仕事も辞め、競馬は

見なくなった。

なぜ? 理由はいろいろある。

ある1頭の馬に関係している部分もあるが、そのことは、また詳しく書きたい。

私にとって「90年代ほど、競馬に魅力を感じない、競馬が面白くない、外国人

騎手が多くなり、JRA中央競馬はビジネス化したように思う」

決して、外国人差別ではないことをはっきり言っておく。

そして、何よりも

「国内で活躍した有名な名馬たちの仔どもが、少ない」外国輸入馬の産駒が

多くを占めているのではないか?

現在の競走馬には、以前のようなスターホースがいない。

私個人の意見だから、様々な意見はあると思うし、反論もあると、思う。

あれほど、私が心を躍らせワクワクして魅せられるスターの競走馬が、

いないのだ。現在のJRAの競馬をどこか冷めた思いを抱いているのは

確かだ。

 

事実私は、ナリタブライアンサイレンススズカメジロマックイーン

彼ら、以上の名馬には、現在まで巡り合えないでいる。

 

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 今回は、意外な?競馬のことだったが、最後まで

読んでくれてありがとう。

また、近いうちに会いましょうね。

ゆりあ


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ゆりあ姉さんも、持っている!使用中。

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